江戸時代の梅干し 煎り酒(いりざけ)

梅干しと言えば紀州ですよね。紀州ってどこだ?徳川御三家の紀州?和歌山なんですね。

関ヶ原の戦いのあと、浅野家の治める紀州藩が成立。浅野家が安芸国広島藩に移されたあと、徳川家康の十男・徳川頼宣が浅野の旧領に南伊勢を加えた55万5千石で、紀州徳川家の治める親藩の紀州藩が成立した、のだそうな。(歴史はあまり詳しくなくて・・・)


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そうそう、「梅干し」。

江戸時代には、それまで偉い人たちの食べ物だったものが、一般庶民が食べられるようになったものがたくさんありますね。

和菓子なんかもそうですけど、梅干しもその一つだったようです。

江戸時代、紀州から江戸に梅干しをもってきて商ったという話も残っているそうです。

 

ちなみに、今はほとんど知られなくなった「煎り酒(いりざけ)」という調味料は梅干しを使った江戸中期ごろまで使われていた調味料だということです。

江戸時代の料理書「料理物語(りょうりものがたり)」には

「熬酒(いりざけ)は鰹一升に梅干十五乃至二十、古酒二升、水少々、溜り少々を入れて一升に煎じ、漉し冷してよし、また酒二升、水一升入れて二升に煎じ使ふ人もある。煮出酒は、鰹に塩少々加へ、新酒で一泡二泡煎じ、漉し冷してよろし、精進の熬酒は、豆腐を田楽ほどに切り、炙つて、梅干、干蕪など刻み入れ、古酒で煎じてよし」

ウィキペディアに載っていました。

国立国会図書館デジタルコレクションの「雑芸叢書」の中の「料理物語」の「第八 なまだれだしの部」(P.167/229)の下段中央あたりに「いりざけ」という項目で書いてありますよ。「かつほ一升にむめぼし十五二十入り、古酒二升、水ちとたまりすこし入、一升にせんじ、こしさましてよし、又さけ二升水一升入、二升にせんじ、こしさましてよし、又さけ二升水一升入、二升にせんじつかう人もあり」と書かれていました。これは出版年月日が大正4のものです。

きっと「鰹節(かつおぶし)を1升(いっしょう)、梅干しを15~20個、酒2升、水と溜まり醤油(たまりじょうゆ)を少々入れて、1升になるまでぐつぐつと煎じる。濾して冷まして出来上がり。」ということかな。

今度作ってみようかな。 ==>作ってみました!!
高価な梅干しではちょっと無理ですね。
家で作った梅干しで作ってみるのがいいかのしれませんね。
ム、梅干しから作らなくちゃならないか?