寄席の楽しさ

落語にはまって約1年。
最近はYouTubeで検索するとたくさんの落語を観たり、聞いたりすることができます。

片っ端からYouTubeの落語を聞いて、はまりました・・・。

笑える魅力に加え、なんと人情味のある暖かい空間のおはなしがされていることか。

古典落語を聞きながら、江戸時代はこんな感じで生活していけていたのかなぁ

とおもってしまう。最後の落ちより、その部分が一番好きになった理由かもしれません。

(古典だけではなく、同年代の喬太郎さんの新作落語も大好きですけどね。)

棟割長屋で箒かけの釘を打とうと、隣の家まで長い釘を打ちこんでしまうとんまな亭主や

隣にきれいな女の人が来ているみたいで気になるから何時間もかけて壁に穴をあけている輩もいる。

洗い物をする井戸端やトイレなどが共同だったこともあり、嫌でも近所づきあいが密になり

人対人の関係がとても近くで暖かい。

その暖かさに触れたくて落語を聴きつづけてきたような気がします。

すでにお亡くなりになった昔の落語家の人なのか、現在活躍されている落語家さんなのかもわからないまま、YouTubeで毎日何本も落語を聞いて1年。

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そして初めて、寄席に落語を聞きに行きました。浅草演芸ホールの夜の部。

寄席での落語の良さは、YouTubeで聞き込んだ長いお噺しの良さとは別で

次から次に出てこられる噺家さんや、芸人さんのワイワイガヤガヤの楽しさがあります。

現在の落語家さんの数が600人とか聞いたことがあります。

同じ噺(はなし)を複数の落語家さんがやったら、上手な人と下手な人があって大丈夫なのかな、と思っていましたが、寄席で行う場合には、ワイワイガヤガヤの空間に絡めた楽しさがありました。

空間の大きさも程よくて演者と客席が近い。寄席がどこぞの大ホールほど広かったら、きっと、全く別の感じを受けたのかもしれません。

もちろん、同じ噺(はなし)でも、一人一人の落語家の方々が、それぞれがいろいろなところで工夫しているので、笑う場所が微妙に違ったりと、全く同じお話になることもないんですね。

江戸時代の寄席はどんなだったんだろう、と感じながら寄席を後にしました。

ほんの少しタイムスリップしたとても楽しい時間でした。

 

 

参考
寄席落語のCDなど